僕が所有する2台のipod classic(1台目がいっぱいになったので2台目を購入。1台あたりの容量が160GBなので×2でトータル320GB。ちょっとしたDVDレコーダー並(笑))には、購入したCDを片っ端から取り込んでいるので、今では実に2万曲を超える楽曲が収録されているのだけれど、ある時ふと気になって再生回数のランキングを見てみた。以前は他愛もないポップソングばかり聴いていたけど最近ではプログレも熱心に聴くようになり、ジャズやフュージョン、クラシックにまで趣味を広げている(というか雑食になっている(笑))自分の最もよく聴いているアルバムは果たして何なのか?結果ダントツの1位だったのがプリファブ・スプラウトの「Let's Change The World With Music」だった。それはちょっと意外な結果でもあったけれど、これが自分の現実でもある。
「歌は世につれ、世は歌につれない」と言ったのはかの山下達郎だが、今から4年前にリリースされたこのアルバムのタイトルに「Let's Change The World With Music」と名付けたプリファブ・スプラウトのパディ・マカルーンはきっと大真面目だ。確信犯である。いや、愛について歌うとき、パディ・マカルーンという人はいつだって大真面目だったのだ。
例えばポール・マッカートニーが「誰もが馬鹿げたラヴソングにはうんざりしているようだ。でも馬鹿げたラヴソングで世界を埋め尽くそうとする人もいる。それのどこが悪い。何度でも歌うよ。アイ・ラブ・ユー」と「馬鹿げたラヴソング」を歌うとき、彼はきっと故意犯である。百歩譲っても「未必の」故意犯だろう。
しかしパディが「世界は恋をする人々を愛している。それを忘れちゃいけない。何を犠牲にしても愛を優先すべきだ」と歌うとき、「愛は生まれては消えてゆくものだけれど、愛は全てに優る」と歌うとき、彼は大真面目だ。
熱心なファンの間では知られた話だが、実はこのアルバムは90年にリリースされた名盤「ヨルダン:ザ・カムバック」の後に制作されながらお蔵入りになっていたいわゆる「幻の」アルバムである。アルバムにはいつも饒舌なパディ(饒舌と言う意味ではほぼ同世代のUKミュージシャンである「カプチーノ・キッド」ことポール・ウェラーにも似ている)自身によるライナーノーツが寄せられている。ビーチ・ボーイズの同じく「幻の」アルバム「スマイル」を引き合いに出して、このアルバムがなぜ当時リリースされなかったのか、そして今なぜ日の目を見ることになったのか、についての、良く言えば「釈明」、悪く言えば「言い訳」が長々と綴られている。これはおそらくリリースされた後に出てくるであろう、お世辞にも丹念に造り込まれたとは言い難い打ち込み主体のサウンド・プロダクションに対する非難への牽制の意味もあったのだろう。
そんな風に、このアルバムに失望したり、「あの時トーマス・ドルビーのプロデュースでリリースされていれば」と悔やんだりしたファンは実際に多いのだろう。当のパディ本人が後悔し、懺悔しているくらいなのだから。むしろこのアルバムに対する不満というのは、プリファブ・スプラウトを愛すればこそ、ということなのかもしれない。しかし僕はそのチープな音に目をつむってでも、このアルバムを何度も繰り返しipodで再生した。ここに収められた楽曲の、そのあまりの素晴らしさに抗うことができなかった。ある意味ファン失格なのかもしれない。
オリジナル・アルバムとしてはこのアルバムの前作にあたる「The Gunman And Other Stories」(01年)は、同じように熱心なプリファブのファンの間では存在感の希薄なアルバムかもしれない。プロデュースにはトニー・ヴィスコンティ(代表的なのはT.レックス、デヴィッド・ボウイ。特に今年久々に新作をリリースしてファンを驚かせたボウイ2000年以降の復活劇には彼の存在が大きい)があたっていて、デヴィッド・ボウイの近年の作品と同じような丁寧な仕事をしている。アルバムの内容自体はそのタイトルとジャケ写から受ける印象ほどアメリカーナという訳でもない。すなわちこのアルバムはエルトン・ジョンにとっての「Tumbleweed Connection」でもなければエルヴィス・コステロにとっての「Almost Blue」でもない。聴こえてくるのはいつものパディ・マカルーン節である。
「時に愛はとても残酷なことをするかもしれない/君の天使の翼を傷つけるかもしれない/でもエンジェル、愛はきっといつか君に素敵な恋人を見つけてきてくれるよ」(「Love Will Find Someone For You」)
愛についての確信犯パディは性懲りもなくこう歌う。いやいつだって彼は愛についての歌しか歌ってこなかったのかもしれない。彼が愛について歌わなかったとき、それはただの言葉遊びだ。プリファブの初期の名曲「Cruel」をライヴでカヴァーしてたというエルヴィス・コステロはその歌詞に登場する「tuppentup」という言葉の意味についてパディに直接訊いたそうだが、もちろん意味なんてないのだろう。例えば「The King Of Rock'n Roll」の「Hot Dog , Jumping Frog , Albuquerque」(ホットドッグ、跳ねるカエル、アルバカーキ)なんかも意味なんて考えてはいけない言葉遊びの典型だが、これなんかは卑近な言い方をすれば「アルバカーキって言いたいだけやん」ということになる(笑)。あるいは「Electric Guitars」の「Mascara Meltdown Hysteria-a-go-go」(メルトダウンするマスカラ、ヒステリアゴーゴー)とか、「Jesse James Bolero」の「Don't goodbye deserve some Bach not barbershop?」(この詞の訳はみなさんも一緒にお考え下さい(笑)。「さよならは理髪店よりもバッハにこそふさわしいだろう?」?) なんていうのも意味不明で面白い。発語の快感を伴う意味のない言葉を舌の上で転がしているだけ、という印象さえ受ける(それはMascaraのMとMeltdownのM(あるいはBachのBとBarbershopのB)の頭韻なんだよ、という堅苦しいツッコミは無粋ってことで)。実際パディ自身が「Paris Smith」という曲の中でこんな風に白状している。
「But I tried to be the Fred Astaire of words」
(僕は「言葉のフレッド・アステア」になろうとしていた)
こういった言葉遊びのセンスなんかは確かによく引き合いに出して語られるスティーリ−・ダンのドナルド・フェイゲンやジミー・ウェッブ(歌詞に人名や地名などの固有名詞を多用する)に近いものがあるのかもしれない。まあ前にも書いたけど、そもそもプリファブ・スプラウトなんてバンド名自体が意味のない言葉遊びなんだけれど。
そのプリファブ・スプラウトの新作「Crimson/Red」がもうすぐリリースされる。今回の作品も過去に制作されたもののお蔵入りになっていたもの、ということでリリースの経緯は前作「Let's Change The World With Music」や89年の「Protest Songs」と同じである。いかなる形であれ、かねてより体調不良の伝えられるパディの新作がリリースされるということがとにかく嬉しい。パディの師匠とも言うべきジミー・ウェッブは先日一足先に素晴らしい新作をリリースしてくれた(ブライアン・ウィルソンをゲストに迎えた「マッカーサー・パーク」の再録というのがうまく想像できなかったのだけれど、まさかあんな風になっているとは。いい意味で予想を裏切られました)。このプリファブの新作が、僕の所有するipodの再生回数記録を塗り替える日が来るのも近い。
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